美味しいコーヒーを飲みながら通勤途中のサラリーマンを見る、という行為について
僕は、美味しいコーヒーを飲みながら通勤途中のサラリーマンを見るのが好きだ。朝の通勤ラッシュの時間帯にサラリーマンがたくさん通る新宿駅やら品川駅の通路に面したカフェに行き、コーヒーを飲みながらリーマン観察をする。ちゃんと通勤時間のリーマンを観察したいから、わざわざ早起きして行く。趣味が悪い、と言われるかもしれないが、好きなものは仕方がない。
大抵の場合、仲の良い友達と2〜3人で行う。なにも予定のない朝8:00前後に、わざわざ満員電車に乗ってリーマンを見に来るのだから、彼らのことは相当酔狂な人たちだと形容せざるを得ない。
集合したらサラリーマン観察のしやすい席に陣取り、2〜3時間ほど滞在する。サラリーマンを観察するのはもちろんだが、近況を話したり、お互いの悩みを相談したりと存外有意義に時間を使う。この前は卒論の相互チェックもした。
肝心のリーマン観察だが、特に決まったポイントがあるわけではない。死んだ目をした労働者たちを見て彼らを馬鹿にしたり、春から自分たちもこうなるのだと恐れ慄いたり、自分はそうはならないぞと決意を新たにしたりする。
おすすめのカフェ
・新宿駅西口 Q’s café
ここはサラリーマンたちの繰り広げる生存競争がまじまじと観察できる、迫力満点のスポット。我々リーマン眺め狂の間では「リーマンサファリパーク」と呼ばれている。カフェ自体は西口の改札を見下ろすかたちで中二階のような場所に位置しており、お手軽に改札を忙しなく出入りする大量のリーマンを観察できる。
だが、それだけではない。改札を眺めることのできるのと反対側の通路は小田急線とJR線の乗り換え通路になっているのだが、この通路がすごい。小田急の改札からJRの改札へと一心不乱にダッシュする集団リーマンが観察できるのだ。そのスピード、迫力、地響きはさながらヌーの大移動であり、「サファリパーク」の名前の由来もここにある。一部では先頭集団の鬼気迫るダッシュの様子から「リーマン福男選び」とも呼ばれているようである。
・品川駅港南口 Starbucks coffee / bluebottle coffee
品川にはリーマン観察にぴったりのカフェがふたつあり、そのどちらも同じような特徴を持っている。空いている方に行くといいだろう。
これらのカフェは、「品川リーマン一般参賀」と呼ばれている。品川駅中央改札から左右に伸びて高輪口と港南口を結ぶ巨大な通路を見下ろすかたちでカフェは悠々と佇んでおり、通勤時間帯のサラリーマンたちが群衆の波を形成しながら進んでいく様を眺めることができる。人が多すぎてなかなか前に進めず、上から見るとスーツの色のせいで黒い塊たちが蠢いているようにしか見えない。その様はまさに一般参賀、我々リーマン眺め狂は群衆に向けて優しく微笑み、手を振るのだ。
筋ジストロフィー
小学校の同級生で、筋ジストロフィーという病気を患っていた子がいた。筋ジストロフィーというのは全身の筋肉がだんだん硬く、動かしにくくなっていって、しまいには呼吸することも難しくなってしまう病気だ。小学校の先生はそう説明していた。
彼は僕の小学校にいつだか転校して来たのだが、その時点でもう歩くことはできなくなっていた。車椅子を自分で押すこともできず、電動車椅子に乗っていた。
先生が言うには、筋ジストロフィーはどんどん進行していくそうだ。小学校の時点で電動車椅子の操作のための手首から先と、あとは顔くらいしか動かせなかった彼は、おそらく中学生くらいで寝たきりになって、そして数年で死んでしまうのではないだろうか。僕はそんなことを先生の話を聞きながら考えていた。
だから、僕は彼にうんと親切にしようと思った。休み時間になったら彼に困っていることはないか聞き、一緒におしゃべりをした。彼に一番親切にしているのは自分だ、そう思っていた。
ある夏休み明けの日、彼が同級生の奥原君に旅行のお土産を渡しているのを見た。僕はすごく驚いた。なぜなら、奥原君はお世辞にも彼に親切にしていたとは言えず、むしろいじめているようにも見えたからだ。彼の電動車椅子で遊び、彼を助けるどころかからかっていた。
僕は驚いたあと、疑問、それからうっすらとした怒りの気持ちを覚えた。なぜ親切にした僕がお土産をもらわず、奥原君はもらえたのか?なぜ彼は奥原君と楽しそうに話しているのか?当時は全然わからなかった。
僕は今23歳なので、もし筋ジストロフィーが僕の思った通りに進んでいるならば、彼はすでに寝たきりか、亡くなっているだろう。
そんな今、彼と奥原君の間の友情について思う。
彼は生まれてからずっと「病気の子」「かわいそうな子」として生きてきた。僕の小学校でも例外ではなかったはずだ。先生も同級生に「彼に親切にしなさい」と指導していた。彼の両親もそうだっただろう。自分たちよりも早く死ぬ運命にある我が子を叱りとばしたりはできなかったはずだ。
つまり、彼には一緒にふざける友達も、それを叱る先生もいなかったのだ。親に小言を言われることもなかったし、近所の怖いおじさんに怯えることもなかったのだろう。
彼はずっとそんな「普通」の小学生になることに憧れていたのだと思う。だから彼にとって一番一緒にいたい存在は僕ではなく、他のどの同級生でもなく、奥原君だったのだ。
僕は当時の自分の「親切にしよう」という気持ちが間違っていたとは思わない。実際に彼に親切にしたとも思う。
でも僕は、彼に親切にして「あげて」いただけだった。僕は自己満足の、虚栄心にみちた、かわいそうな子供だった。
今はもう亡くなってしまっているかもしれない彼と、彼の一番の仲良しだった奥原君との友情を思う。
④9時間で行けるの?近所だな。感涙のウクライナ、独裁のベラルーシ、楽しい楽しいポーランド編
早々にロシアを脱出した僕はウクライナ、キエフに向かった。ウクライナの後はベラルーシに行く予定だったわけだが、ではなぜモスクワからまっすぐ西に向かわなかったのか?
理由は二つある。
①ロシアとベラルーシの国境を両国以外の国籍を持つ人が陸路で越えると、逮捕される
②チェルノブイリに興味があった
主な理由はもちろん①だ。大学の先輩が列車に乗ってたら国境で拘束されたらしい。なんだよそれ。捕まえるならチケット売るなよ。
というわけでウクライナを経由してベラルーシに行ったわけだが、そんな「ついで」のウクライナで割と人生変わるほどの経験をした。このことが帰国後の僕を福島第一原発へと向かわせることになるのだが、それはまた別の話だ。
キエフからベラルーシのミンスクまでは、またまた電車。今回はウクライナ国内で引き換えられたから、事前予約してたウクライナ鉄道に乗れた。今度は12時間かかった。もうここまで来ると寝台列車のベテランである。支給されるシーツなんかも一瞬で敷ける。
ベラルーシは独裁国家で、面白かった。独裁国家はやたら道が広い。そして娯楽がないから、レベルの低いサーカスが大盛況だった。
そしてベラルーシの次はポーランド。事前予約してた列車でミンスクからブレストまで行き、ブレストで乗り換えてワルシャワまで。合計9時間。1桁時間で着くなんて、近所じゃん(錯覚)。ついにEUだ。
このころから少し暖かくなってきて、公園で朝からビールを飲んだりしてだらだらすることができるようになってきた。せっかく旅に出てそんなことするなよって思う人もいるだろうが、はっきり言っておくと、旅はものすごく疲れる。どこに行っても「家」がないから、心の休まる暇がないのだ。何年って単位で旅してる人はバケモノだ。だから公園でビールを飲む日も必要なのだ。
ポーランドもかなり楽しかった。物は安いし、街は綺麗で、人も親切だ。なぜか中国人とスペイン人の友達がたくさんできた。
そんなこんなでもうEUに突入したのだが、ここからが大変だ。次回からは地獄の長距離バス編に突入だ。
ここまでの長距離移動の合計時間: 134時間
③退屈鉄道が加速してゆく。モスクワ〜キエフ編
極寒のイルクーツク、鼻水も凍るバイカル湖でしばらく遊んだ僕はまたシベリア鉄道に乗り込んだ。この時に注意してほしいのが「時間」だ。ロシアはその広大な国土ゆえ標準時がいくつもある。シベリア鉄道の場合は全て「モスクワ時間」で統一されているから、それを自分が乗る駅の時間に変換してホームに向かわなければならないのだ。僕はこれを勘違いしてチケットを取っていたため、真夜中に駅に向かう羽目になった。凍えた。
イルクーツク~モスクワ間では一番下の等級のチケットを買った。これはロシアの地元民しか乗らない等級で、アウェー感がすごい。また、このクラスでは「コンパートメント」などというものが存在しない。1両まるまるが1部屋のようになっており、車両を貫く一本の廊下の両サイドに二段ベッドがひたすら並んでいるだけなのだ。まさに現代の奴隷船だ。しかも上のベッドを選んでしまうと、天井が近すぎるためベッドの上で体を起こすことすらできない。上のベッドは「寝る」か「ローリングする」ことしかできないのだ。
何も知らずに上のベッドを選んでしまった僕は、モスクワまでの4日間非常に苦労した。昼間は下のベッドに座って過ごすことになるわけだから、そこの住人との関係がなにより大事である。嫌われてしまったが最後、日がな一日ベッドでローリングするしかやることがなくなるのだ。
最初の2日間はよかった。優しいロシア人のおばちゃんが下のベッドにいて、一日中世間話ができたのだ(言っていることは何もわからなかったが、おばちゃんも僕もそれでよかった)。おばちゃんというものの生態は世界共通らしく、お茶やらお菓子もくれた。
最後の2日間は最悪だった。おばちゃんが降りた後乗ってきた男が僕を(アジア人を?)嫌っていたようで、何も話せなかったし、目も合わせてくれなかったのだ。僕はまる2日間ローリングして過ごした。まるまる2日ローリングしてた男って僕以外にいる?ギネス記録じゃないかな。
イルクーツクを出発してから84時間、モスクワに着いた。ちょうど雪解けの時期で、道がドロドロでとても汚かった。もうこんな国とはおさらばだ。すぐにモスクワのキエフ駅に向かった。ロシアの駅名は面白くて、「行き先」が駅名になるのだ。だからモスクワにキエフ駅があるし、多分キエフにはモスクワ駅がある。
モスクワからウクライナのキエフへはあらかじめウクライナ鉄道のチケットを予約していた。あとはいつも通り窓口で引き換えてもらうだけ、と思っていたのだが問題が発生した。なんと、
「ウクライナ鉄道のチケットはウクライナ国内でしか発券できない」
らしいのだ。いやいや、これからウクライナに行くところなんだけど。意味のわからないシステムだ。仕方なくそのチケットは諦めてキエフ行きの別のチケットを窓口で買った。
キエフ行きの列車も寝台列車だったが、14時間程度で着いたので快適なうちに着いた(この時点でだいぶ時間感覚が麻痺している)。
ここまでの長距離移動の合計時間: 211時間
②暇すぎるシベリア鉄道。モンゴル経由、極寒のロシア編
さて、船に乗って上海に着いた。この後ロシアのモスクワまで行くために、あの、世界一長くて世界一暇なシベリア鉄道を使う。ウラジオストックから乗ったの?とよく聞かれるが、僕は北京から乗った。実は北京からも列車は出ている。
まずは上海から北京まで行った。高鉄(日本でいう新幹線みたいなやつ)で行った。5時間かかった。Ctripというサイト https://jp.trip.com であらかじめ「上海虹橋~北京」のチケットを購入しておき(簡単だったが、代理店なので少し高くついた)、上海虹橋駅の窓口で予約票と切符を交換した。交換も簡単だった。駅に行ったら大きくて公式っぽい窓口を探して、そこのお姉さんに予約票を見せればいい。お姉さんも手馴れた感じですぐ切符をくれた。
列車に乗るのはそこそこ大変だった。ホームに入るのに荷物チェックがあり、しかもそのチェックは列車が出るギリギリでしか始まらないからだ。だから荷物チェックの列が後ろの方だと乗り遅れるかもしれない。いやマジで。僕は必死に本場の中国人たちとの押し合いを制し、走って列車に乗り込んだ。本場の割り込みと押し合いに勝った僕はまたひとつレベルアップした。
北京駅からシベリア鉄道に乗るわけだが、シベリア鉄道の予約には少し難儀した。が結局このサイト https://tatsumarutimes.com/archives/12283 のおかげで無事にチケットをゲット。まずは北京からロシアの真ん中らへんにあるイルクーツクまで。国境をまたぐチケットの場合ロシア人以外は一番安いチケットを買えないらしく、僕はそのひとつ上のランクのものを買った。4人部屋コンパートメントだ。出稼ぎの労働者とかが多く乗ってきた。
ちなみにシベリア鉄道での食事は要注意だ。使える通貨がイマイチわからない上に、おいしくない。無料チケットを2枚もらったから食べてみたけど、無料だからギリ許せたくらいだ。カップラーメンを北京駅でいくつか買っておき、もっぱらそれを食べていた。あとは同じコンパートメントの人からお弁当をもらったりもしていた。
シベリア鉄道は驚くほど暇だ。ロシア、中国、モンゴル人しか乗ってないから僕は誰ともまともな話ができなかった。でも暇すぎて仲良くなれる。なんか心も通じる。お茶でも飲んで、車窓を眺めて過ごそう。
北京出発でロシアまで行こうとすると、モンゴルを通過することになる。当然入国ということになるのだが、これが面倒だ。兵士がひとつひとつのコンパートメントに乗り込んできていろいろチェックする。それに数時間かかる。さらに国境を越えると線路の規格が変わるから列車のタイヤを全部付け替える。これにまた数時間かかる。合計8時間くらい待ったかな。まあ全部で1週間くらい乗ってたから8時間なんてたいしたことないけど。
さて、そんなこんなでイルクーツクに着いた。乗り込んでから52時間。さすがに降りてシャワーとか浴びたくなってくる頃合いなので列車を降りて、バイカル湖で遊んだ。次回はイルクーツク〜ウクライナ編を書く。
ここまでの長距離移動の合計時間: 113時間
①暇すぎるフェリー。中国編
日本からモロッコまで飛行機無しで行く。その方法を考えるために、世界地図を見た。
中国を出発してユーラシアを横断することは、地続きだし、できそうだ。スペインとモロッコの間にあるジブラルタル海峡も、なんか狭いし、船ですぐ行けそうだ。そうなると、日本から中国に行けば目的は達成されたようなものだ。そして、中国までの船はちゃんとある。
僕が使ったのは、大阪港から上海まで定期的に運行しているフェリー「蘇州號」だ。
大阪から上海までは3日くらいかかった。公式サイトから簡単に予約ができた。
https://www.shanghai-ferry.co.jp
船室のランクに関してだが、正直どれでもいいと思う。春節の時期とか以外は多分あんまり混んでないから、どの部屋にしても貸切みたいなものだ。僕は4人部屋だったが、他に誰もいなかったから一人で自由に使っていた。
このランクから上は大浴場を使えるって書いてあったからこれを選んだが、だれがどの船室の客かなんてスタッフは把握してないから大浴場は使い放題だった。別に安い部屋でいい。一番安い大部屋超広いし。超広いのに数人しか利用者いないから、でんぐり返しし放題だ。
あと、wifiを有料で貸し出してくれるが、正直必要ない。出発からしばらくは瀬戸内海を航行するため普通に日本の電波を拾えるのと、弱すぎて全く使い物にならないからだ。それに、船旅でインターネットをしても仕方ないだろう。デッキに出てお日様を眺めたり他の乗客と青島ビールを飲んだりしてるうちに3日は過ぎる。
僕が乗った時には「奔流中国」とかいう怪しいツアーの団体が乗っていたが、みんないい人たちだった。無事に大陸を馬で駆けめぐれたのかな。
船の到着は、8時間遅れた。最終日の朝、濃霧のため出航できなかったのだ。だが、急いでいる人はハナっからフェリーなど使わないので問題無し。
上海に着いてからは港で入国審査や荷物のチェックがある。窓口は少ないが、並んでる人もだいたい友達になってるからモメることもない。
ここまでの長距離移動の合計時間: 56時間
次回は上海〜北京、北京〜イルクーツク編。
日本からモロッコまで飛行機無しで行った方法
モロッコは僕にとって「世界の果て」だった。世界地図を見てみてほしい。モロッコは一番左端にある。まさに「果て」だ。
その昔、地球が平面だと考えられていた時には、モロッコの先には大きな滝があって、そこまで行った船は地球から落っこちてしまうと信じられていたそうだ。大西洋は「絶望」につながった海だった。それまで人類がみーんな絶望の眼差しで大西洋を見ていたせいで、今でもあの海には絶望が染み付いている。
そんな世界の果て、絶望の淵に、わざわざ21世紀に、飛行機使わずに行った人なんていないでしょ。現代版「深夜特急」じゃん。世界で唯一の男になれるじゃん。そう思ったから、やってみた。
結論から言うと、できた。地面がつながってるところには道があるし、地面がなかったら船を探せばいい。
具体的なプロセスは、
①日本から中国まで船で行く
②中国からスペインまでユーラシア大陸を横断する
③スペインからモロッコまで船で行く
のたった3つだ。簡単だ。僕も最初はそう思ったが、ユーラシアのあまりの横長さに血を吐いた。お尻の肉も何度取れたかわからない。
もう少し詳しく書くと、
①日本から中国
②中国からモンゴル経由ロシア
③ロシアからウクライナ
⑥ドイツからスイス
⑦スイスからフランス
⑧フランスからスペイン、ポルトガル、またスペイン
⑨スペインからモロッコ
大きく分けてこの9つの行程に分けることができる。この簡単9ステップで相当デカイことをやってのけた人になれる、はずだ。①から順に記事にしていく。ちなみにロシアとベラルーシだけはビザを取得しなければならないので、注意だ。ビザ取得に関しては他に親切なサイトがたくさんあるので、そちらを見ていただきたい。