それなら僕にも考えが

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所感と、各国の情報。

筋ジストロフィー

小学校の同級生で、筋ジストロフィーという病気を患っていた子がいた。筋ジストロフィーというのは全身の筋肉がだんだん硬く、動かしにくくなっていって、しまいには呼吸することも難しくなってしまう病気だ。小学校の先生はそう説明していた。

 彼は僕の小学校にいつだか転校して来たのだが、その時点でもう歩くことはできなくなっていた。車椅子を自分で押すこともできず、電動車椅子に乗っていた。

 先生が言うには、筋ジストロフィーはどんどん進行していくそうだ。小学校の時点で電動車椅子の操作のための手首から先と、あとは顔くらいしか動かせなかった彼は、おそらく中学生くらいで寝たきりになって、そして数年で死んでしまうのではないだろうか。僕はそんなことを先生の話を聞きながら考えていた。

 だから、僕は彼にうんと親切にしようと思った。休み時間になったら彼に困っていることはないか聞き、一緒におしゃべりをした。彼に一番親切にしているのは自分だ、そう思っていた。

 ある夏休み明けの日、彼が同級生の奥原君に旅行のお土産を渡しているのを見た。僕はすごく驚いた。なぜなら、奥原君はお世辞にも彼に親切にしていたとは言えず、むしろいじめているようにも見えたからだ。彼の電動車椅子で遊び、彼を助けるどころかからかっていた。

 僕は驚いたあと、疑問、それからうっすらとした怒りの気持ちを覚えた。なぜ親切にした僕がお土産をもらわず、奥原君はもらえたのか?なぜ彼は奥原君と楽しそうに話しているのか?当時は全然わからなかった。

 

 僕は今23歳なので、もし筋ジストロフィーが僕の思った通りに進んでいるならば、彼はすでに寝たきりか、亡くなっているだろう。

 そんな今、彼と奥原君の間の友情について思う。

 彼は生まれてからずっと「病気の子」「かわいそうな子」として生きてきた。僕の小学校でも例外ではなかったはずだ。先生も同級生に「彼に親切にしなさい」と指導していた。彼の両親もそうだっただろう。自分たちよりも早く死ぬ運命にある我が子を叱りとばしたりはできなかったはずだ。

 つまり、彼には一緒にふざける友達も、それを叱る先生もいなかったのだ。親に小言を言われることもなかったし、近所の怖いおじさんに怯えることもなかったのだろう。

 彼はずっとそんな「普通」の小学生になることに憧れていたのだと思う。だから彼にとって一番一緒にいたい存在は僕ではなく、他のどの同級生でもなく、奥原君だったのだ。

 

 僕は当時の自分の「親切にしよう」という気持ちが間違っていたとは思わない。実際に彼に親切にしたとも思う。

 でも僕は、彼に親切にして「あげて」いただけだった。僕は自己満足の、虚栄心にみちた、かわいそうな子供だった。

 

 今はもう亡くなってしまっているかもしれない彼と、彼の一番の仲良しだった奥原君との友情を思う。